第二話:憤激

 

 

 校舎の屋上から真神美殊を見下ろす眼がある。とても冷たいのに、炎を内包する危うい凶眼。それに気付きもせずに、美殊はそのまま校舎の中へと入っていった。

 息を呑み、眼に焼き付いた少女の顔を見て愕然とする。そして己の時を動かすため、黙したまま、激情を磨り潰すように歯軋りする。

叫び出したい衝動を抑え、深呼吸を念入りにする。

そうすればクリアーな自分を作れる。そう自負している。しかし、今回ばかりは白濁していた。

氷の美少女と憧れの的である彼女。それがあろう事か、笑っていたのだ。それも、誰かを思い出すように。

誰にも見せたことの無い、小さくて控え目な微笑を。それが、気に入らない、気に食わない。そのような笑顔、そのような優しい瞳など断じて認めたりはしない。この、自分に向けられない笑顔などを。

 彼女は高いハードルでなければならない。落とすまで、堕ちた後の楽しみのために。

 五年前の因縁と、復讐もそっくりそのまま、楽しみの時まで取っておくのだ。

だから落ち着け。渇望させ、飢餓すら快楽としろ。その時の楽しみに変換するために、俺は悪魔を統べる女と手を結んだのだ。

 言い聞かせる凶眼の主は、屋上のフェンスに止まろうとした白い鳩に手を伸ばす。

 一瞬――――目に映りさえしない早さで掴み取り、手の中に白い鳩は暴れていた。それを紙のように引き千切る。血の代わりに撒き散る白い紙は、風に乗って消えていく。

凶眼の主にあった一欠けらの理性と共に消えた。

 

 

 

四月一六日、五時四八分。

 

ガタガタ、ガタガタと夕暮れの電車に揺られて、私は正面に立つ誠を見上げた。誠の片手には今晩の食材が入っているビニール袋を二つ提げている。

 

「重くないですか?」

 

「うん? 大丈夫だぞ。これ位」

 

ありきたりな私の問いに平凡な返答と微笑で返す。ガタガタとガタガタと電車は揺れ続け、沈黙が続く。

電車内は三組ほどのサラリーマンとOL、親子連れや老夫婦がチラホラ居るだけの車両の中、学生服を着てデパートの買い物袋を提げた私達は、かなり目立っているかもしれない。私の隣に座る、サラリーマンは新聞を読んでいる振りをしていて、私と誠の会話を盗み聞きしているのかもしれないと、緊張の性で神経質に辺りの視線が気になってしまう。

 

「今晩は何を作ってくれるんだ? 食材から見ると、もしかしてビーフシチュー?」

 

 何時ものように、不意打ちじみた言葉を投げ掛けられた。しかも、食材を見ただけで料理を言い当てるなんて、誠を知る私としては驚愕である。だって、お味噌汁の作り方も知らなかった彼の口から、ビーフシチューという単語が出るなんて、驚き以外に何物でもない。

 

「えっ? あっ、はい」

 

 私はオウム返しに答えると、誠はクスリと微笑んだ。そして何を想像したのか、さらに破顔する満面な笑み。

 

「へぇ〜楽しみだな。美殊の料理はどんどん上手くなっていくから。想像したら、涎が出てきそうだ」

 

 この人は・・・・・・本当に時折、おもいっきり引っ叩きたい。そんな歯の浮くようなセリフを、私が知らない所で、構わず言っているのだろうか?私以外にも? 天然? あっ! 新聞紙を広げていたサラリーマンは横目でチラリと私と誠を見て舌打ちする。いちゃつくなという事だろうか? 違う、私は普通。

 辺りへと神経を焼き切るように廻らせながらも、誠の視線から顔をそらす。小さく喉の渇きを潤すために、誰にも聞こえないように唾を嚥下する

 

「そうですか・・・・・・ありがとうございます」

 

「礼を言うのは、俺だと思うけど? 美味しくいただいているから」

 

 私の苦し紛れの返答も、律儀に苦笑で返す。そのタイミングに、私の理性は逃げ場を無くす。嬉しい言葉を、誠の口から言ってもらえた。有頂天寸前の心と身体を無理やり押さえ込む。呼吸も止めて、静めることだけに意識を集中する。もし、ここが電車ではなく自分の部屋なら、抱き付けるのに。ああ――――本当に――――。

今日は――――どうして、私が有頂天や嬉しいと思うと、邪魔が入るのだろう!

 たった一駅で電車が止まった後、左右の車両ドアから人が集まってくる。それも、全員が赤、茶、金、銀と派手に髪を染めて、ダボダボのパーカーから皮ジャンファッションの不良たちがどんどん集まってくる。その異様な雰囲気に嫌悪した人は一人、また一人と車両から逃げ出して、最後に私の隣に座っていたサラリーマンも新聞紙を畳んで逃げ出していく。車両に埋め尽くす二十人近い不良達・・・・・・・・・・・・誠はそんな雰囲気にも鈍感で、ガタガタと揺れる始めた電車内から夕日を眺めていたが、さすがに気付いて左右に視線を廻らせる。そして、こんな状況に陥っても首を傾げるだけだった。

 

 

 

 同時刻。

 

 アーケードの裏路地の一角。四方に囲まれたビルが空を切り取っていた。夕日で薄暗くなる袋小路に目が血走った連中が、群れをなしていた。

 誰もが木刀、鉄パイプ、バタフライナイフをちらつかせ、その双眸は手に持った得物よりも危険な光を放っている。どいつもこいつも、血に飢えていた。背中には、良くない物も『憑いている』不良少年達である。

 その連中の中心には煙草を咥えた青年が一人いる。

 布で覆った刀を脇に挟み、右から左へと不良達を観察して首を傾げた。

 

「なぁ?」

 

 手に得物を持つ不良の一団を相手に、巳堂霊児は紫煙を吐いて言った。

 

「これだけか?」と、げんなりしながら。

 

「おい? お前らで全員か?」

 

「聞いてどうするの?」

 

 不良の波が二つに割れ、その道を歩む一人の女の子。歳は美殊よりも下の一四歳くらいだろう。無地の白いセーターとジィーンズに、三つ網の髪、眼鏡を掛けて地味で何処にでもいそうな優等生風だ。

眼鏡のブリッジを上げ、霊児を睨むその眼は、少女のあどけなさなど無い。あるのは狂った眼だ。その背中には他の不良達よりも、一際大きな影が陽炎のように揺らいでいた。

 

「もしかして、生きて帰れると思っているの?」

 

 物騒な物言いで、腰に差したカスタマイズ大型ナイフ二本を両手で抜く。磨き抜かれ、ビルの壁まで鏡のように映し、遮光する夕日の照り返しで、柔和な笑みの霊児を照らす。

 

「オレはこれだけで良いのかって、意味で言ったんだぜ?」

 

 霊児は周りの殺気も、少女の後ろに居る化け物ような陽炎すらどうでも良いのか、苦笑しながら見窺う。

 

「これっぽっちの人数で良いのかって意味だ」

 

 ポケット灰皿で煙草を消した巳堂は、不良達を眺める。その双眸に気負いも殺気も、まして敵としても見ていなかった。

 

「まぁ、良い。いっぺんに来い」

 

 ただ自然体で紡ぐ。徹頭徹尾に不敵な態度を維持したまま。

武器を持ち有利である不良達全員には、舐めきったセリフに聞こえたであろう。怒りが伝播する。一五人の武装した狂人達の顔色が怒りに赤く染まる。眼鏡を掛けた少女――――否、その背に憑いている者も、冷静にはいられない。

 

「ブチ殺せ!」

 

 汚い罵りを合図に、不良少年達はピラニアの魚群の如く突撃する。

対して霊児は構えず、リラックスした状態だった。およそ、命の危機に晒されている者とは到底思えない。否、霊児にとってこのようなものを、命懸けとは言えない。見え見えの殺気、殺気の後に来る攻撃パターンなど、霊児には幼稚どころか赤子以下だ。

 

「ハァ〜」

 

 溜息を吐きつつ、バタフライナイフで突っ込んでくる少年に、喉へ人差し指一本を突き立てる。両目は白目を剥き、フラフラと膝から倒れ落ちる前に、掌底を形作りながら鉄パイプを振り被った不良の横へ、無拍子で移動完了。そのまま鳩尾に鈍い打撃音を響かせ、振り向き様の逆回し蹴りは、木刀を振ろうとした一人の左頬に叩き込まれて真横へ飛ぶ。

素早く立ち回る霊児を掴まえようと、肩や腰にしがみ付こうした不良もいたが、触れた瞬間には投げ飛ばされ、受身も取れずに背中を硬いコンクリートに叩き伏していく。

恐怖に駆られ、出鱈目にサバイバルナイフを振り回して「来るな!」と叫ぶ赤髪に、後頭部に手刀を叩き込む。

 瞬きの間で味方が崩れ落ち、飛び、投げられていくのを見ていた少年は、霊児の強さに後退りする。その少年に霊児は手加減中の手加減で、人中の急所にデコピンを喰らわせる。だが、それも手加減の内に入らなかったのか、渇いた打撃音を響かせ、両の黒目がグルンと上を向き、膝から倒れて額から地面に突っ伏してしまった。

 

「だから――――」

 

 げんなりと呟くと、最初の一人の膝がようやっと折れて倒れる少年を見ずに、肩を竦めた。

 

「いっぺんに来いって」

 

 昏倒している不良達を見渡し、最後に二刀流の少女に視線を向けた。

 少女は呆気に取られていたが、すぐに意識を戻すために頭を振って眼光をさらに鋭く、霊児に叩き込む。

 

「もしかして、やる気か?」

 

 これだけ戦力の違いがあるから考え直せ。そんな忠告も含めて霊児は言う。だが、少女は唇を歪ませて鼻で笑った。

 

「もちろんよ・・・・・・・・・この『力』で私は素直に生きるの・・・・・・嫌いなクラス、喧しい教師、「がんばって」としか連呼しない母親、家に寝るために帰るだけの父親、私をがり勉女って嘲る妹から、何から何まで綺麗に消えれば、住みやすくなると思うのよ。嫌いな人が居なくなれば、きっと私を大切にしてくれる大人や、友達だけが残ると思うのよ。単純でしょ?あなたも嫌いだから、私は殺すの。あなたも私が嫌いだし、邪魔だからここに居るんでしょ?」

 

 少女は濁り無く狂っていた。

 そんな思春期の少女に霊児は、頭を掻いて真剣に考え込んだ。しかし、少女のささくれ立った心を、過敏に刺激するだけだった。

人の行動一つをとっても、嘲りにしか見えないほどに。

 

「何よ? バカにしているの!」

 

「考え方次第だろ? きっと被害妄想だって」

 

 そんな狂った少女の言葉に、バカ正直に答えを紡ぐ。だが、そんな精神科で聞き飽きたセリフなど、届くはずが無い。彼女自身が耳を貸す訳がない。

ただ、黒い影だけが、耳元で囁く。甘く清廉な声音は、お前が正しいと囁き続けた。お前が一番の被害者だ。正当の防衛だ。自分を守るために、邪魔者を排除するのに何の躊躇がいるんだ? 当たり前のことをしようとしているのだ。やられたらやり返す。ただ、お前は今までの利子も纏めて返済するだけの違いだ。

 暗示が浸透し、少女の顔が豹変する。口元が釣りあがり、目も闇に濁る。

 

「そう・・・・・・なら、アンタを殺してから考えてみるわ」

 

 宣告する刹那。獣の如く踏み込み、ナイフを閃かせる。

右手は頚骨を、左手は心臓を。自分以外を無価値と断ずる高速の一閃。しかし、制空権に入った瞬間、頚骨を狙った右手は弾かれ、左手のナイフは闘牛士のように躱され、刺突は空を穿つ。

 

「っう!」

 

 振り向き、驚愕を飲み込む。只の偶然と判断する。自分は特別なはずだ。自分の動きについて来られる者など、誰もいない。今のは偶然だ。あとほんの少しギアを上げればいいだけだ。

 両手に握られたナイフが、幾数の半月と弧を描き、弾丸の如く突く。それら全てを、霊児は躱す。高速でナイフを振り、突こうと、霊児の身体に掠り傷も出来ない。

轟音を響かせて振り回す少女に、霊児は柔和に微笑んで言葉を紡いだ。

 

「すごいな。目にも止まらない攻撃だぜ」

 

「バカにしているのか!」

 

 バカにしているにも、ほどがある。見えないなら何故当たらない!

 

「していないさ。本当に俺の目には見えないだけだ。ただ――――」言葉を区切り、顔面を狙う刺突は首を傾げ、続いて横薙ぎの連携。それは身体を沈めて、言葉を紡ぐ。コンマの連携すら、しなやかなに躱していく。

 

「殺気のほうが早いから、そっちを優先的に避けているだけだ」

 

 ・・・・・・・・・それはつまり・・・・・・彼女の攻撃は放つ前から躱していると同義。

 彼女の攻撃は放つ前から筒抜けで、霊児はその軌道を避けるだけ。ただ攻撃が来る前にすでに躱し終えているのだ。さきほど、不良達の攻撃をすり抜けたのは、ただ素早く動いたのではなく、ただ来る前に避けていたのだ。

 そんなことは信じられない。そんな、そんな仙人や達人など居る訳が無い!

 断じて否だ!

 

「黙れぇ! 死ねぇ!」

 

 乾坤一擲。全体重で踏み込み、霊児の顔面目掛けてナイフでの刺突。

 脊髄に達して絶命するのは明白。だが、それは当たれば。そのナイフの速度すら、霊児には刹那ではない。彼女と比べれば永遠の長さだ。

 脇に挟めていた刀を中空に放る。自由になった両手を開き、人差し指と中指の隙間で挟めて停止する。全くの微動もせずに。

 

 

「えっ?」

 

 

 動けなかった。驚愕と、美しさに。殺し合いの最中でありながら、その技量は敵であろうと魅せられる。

 束の間の魅了。

刹那に両腕は螺旋を描き、竜巻に巻き込まれたかのように少女の身体は宙を舞う。

少女の視界が回り、背中に衝撃が走る。何が起こったかすら、理解できない。しかし、仰ぎ見る少女の視界には、優雅さすらある動作で、鳩尾に吸い込まれていく拳が映る。それを最後に、少女の瞼は静かに瞑る。

 少女が気を失うのを見届ける霊児の顔は、絶えずあった微笑が消えていた。

少女に手を上げたことに、口の中がにがみで一杯になる。顔を顰めつつ、落下する刀を空中で掴み、布を剥ぎ取る。

 少女の眼が狂気なら、この霊児の眼は剣士の眼だ。死合(しあ)うことを是とする修羅。その鋭き眼光を真上(・・・)に向ける。

 

お前(・・・)も含めて言ったんだぜ? いっぺんに来いってな?」

 

 霊児の頭から二〇メートル先、屋上に立つ夕日の色に染まるシルエット。昆虫のような白い甲殻は、鎧を身に纏う騎士を思わせる。顔半分を兜で覆われ、頬まで裂けた酷薄な笑みを象る唇は、血のように真紅。そして右手が槍に変形しており、二メートル弱の長さがある。

雰囲気からして、まず間違いなく気絶している彼らを先導した者。何処までも狂喜に染まり、血に快楽を見出す笑みが霊児に吐き気を覚えさせた。

 

「あれで、オレを仕留める気だったのか?」

 

鞘からゆっくりと刀を抜く。頭上にいる槍の悪魔に霊児は吐き棄てた。

 

「遠慮せずに群れで来い」

 

 言い終える前には、屋上に居た悪魔の姿が消えていた。

 刹那、霊児は後ろも見ずに振り向き様の逆袈裟が、空間を断絶する。

 音速の閃と神速の弧が、甲高い鋼の軋む音色を路地裏に響かせ続ける。

 槍兵の突きが雷なら、霊児は落雷の先を行く流星の剣閃。

 槍は音すら置き去りにし、霊児を穿とうと幾百と雷光が迫る。下段薙ぎ払い、突きの嵐から時折横薙ぎへの変化し、万別の攻撃。

それら全てが、剣先に眼があるかのように、槍を叩き落していく。落雷の如き突きの中を、ジリジリと摺り足で霊児は間合いを詰める。

 雷光を捌き、弾き、流し、躱す。

 百花繚乱する火花は消える先から花開き、鋼の絶叫が渦巻く中、巳堂の動作は必要最小限。

センチ単位ではなく、ミリ単位での見切りで躱す霊児。否、この表現も聖堂七騎士に席を置く「聖剣」巳堂霊児には、当てはまらない。

攻撃を仕掛ける前から既に、『見切り終えている』。しかし、その巳堂霊児をもってしても、前進速度は微々たるものだ。間合いを詰め寄ることを阻む槍の豪雨。読めると言えど、激しさはさらに増していく。

 突きを躱すのは良いが、点から面への変化を持つ払いは、前進を止めてしまう。上手く捌かなければいけない。腕力の差を埋める絶技と神技があれど、捌き切れなければバックステップで間合いを離さなければならない。その上、掠るだけで骨が折れるほどの連続突きの中、間合いを詰める作業。何より、霊児の足場が一番の問題だ。

霊児が撒いた種ではあるが、近くに昏倒した少女達が転がっている。故に後退はない。

一気に間合いを詰めるにしても、一撃で仕留めなければ巻き添えも出す可能性もある。

 横殴りに叩きつけて来る槍の豪雨の中、霊児にとって絶殺の間合いまで後五センチ。

 四、下段払い。そこへ肘から伸びた柄尻の打ち下ろしを捌く。

 三、旋回した槍が横薙ぎで胴を払おうとするのを、逆袈裟で弾く。

 二、弾かれた槍が毒蛇のように顔面を狙う突きに変化。首を傾げて高速で躱す。

 一、連動して頚骨を砕こうとする払いを、肉食獣のように身を屈めてやり過ごす。

 その動作を一歩にし、制空権の到達を完了。

神速の剣閃が、敵対する槍兵の存在を(だん)(ぜつ)せんと横薙ぎに疾走しようとした。

その瞬間である。

槍兵も剣閃を防ぐために盾を用意していた。人間の盾。気絶している少女をリフティングの要領で浮かせ、剣の侵攻ルートを潰す。

 

「チィ!」

 

 舌打ち。既に敵の行動は読めている霊児にとって、ただ攻撃パターンを一つ潰されたに過ぎない。無限の攻撃ルートがある霊児にとって何の痛手もない。しかし、当たり前と言うのか敵は、冷血漢であった。

盾として用を成した少女の胴ごと、霊児を薙ぎ切るつもりだ。

だからこその舌打ちで憤慨。少女を左手で抱き寄せ、残った右手に握る刀を旋回。

 薙ぎ払いを正確無比に防ぐ。しかし、轟音と共に一転し、少女ごと吹っ飛ぶ霊児。捌くでも流すでもなく、ただ同然に防げば吹っ飛ぶのは霊児である。腕力の差を埋め尽くす神技が封じられてしまえば、気絶している少年少女たちと同じだ。

 コンクリーの壁に叩きつけられ、蜘蛛の巣状に亀裂が走る。

 好機として迎撃を加えんと、肉薄して槍兵の矛先はまた少女の背を狙い、霊児を穿とう迫り来る。

 空気を裂き迫る刃音。それを駆逐し、轟音を響かせる銃声にかき消され、槍兵の身体が真横へ吹っ飛ぶ。

 銃刀法を無視し、二丁拳銃で容赦無く槍兵に鉛弾を浴びせる人物。

 射線を目で追うと、そこにはフランス人形のような儚い美貌。ただし、その碧眼はヒトであると証明している。

何故なら、怒りの鬼火を灯す眼差しで槍兵を射抜いているからだ。

 

「マジョ子?」

 

 ガートス財閥が製作する魔具(ウィッチ・アイテム)のバフォメット45.の銃声。

 炎の紋様が施されたクロムシルバー、銃身に五芒星と山羊の刻印。装飾されたオートマッチク拳銃が、轟然と雄叫びを上げる。

 金髪を夕日に染め、怒気に燃え盛る碧眼の魔女が、二丁拳銃の引き金を立て続けに絞る。

跳ね上がる銃口を抑えつけ、狙い違わず槍兵の頭を定め、槍兵の兜に毒々しい火花を咲かせる。轟音は路地に響き、銃口から噴く火柱のようなマズルフラッシュ。

二丁の撃針が空打ちの音色を発したが、すぐさま空のマガジンを棄てると、二匹の小人が袖から現れる。山羊の顔を持つ小人が、甲高い笑声を上げながらマガジンをぶち込み、長大な火炎を再度噴かせようとする。

 

「止めろ、マジョ子」

 

 全弾命中の上、貫通はしなくとも頭だ。普通に考えれば、それだけで死ぬ。良くても脳震盪。しかし、止めたのは槍兵の心配ではなく、はね返った弾丸が転がっている少年達に当たらぬ為の配慮だ。

 案の定、全身鎧の槍兵には四五口径を受けても、全くの無傷。バックステップして距離を取る。乱入者にわき目も振らず、ビルの壁を蹴る。重力に反して、怪鳥じみた飛翔で屋上へ降り立つ。

 悪魔の目と霊児の視線が噛み合う。

 嘲笑と格下と見下げた眼で巳堂を一瞥し、屋上の影へと消えていった。

 

「やられたぜ」

 

 軽い口調とは裏腹に、巳堂の口には自嘲が張り付いていた。もし、マジョ子が来なければ、自分はこの腕に眠る少女の命を、守れなかったと皮肉る気持ちに染まる。

最初から非情に徹し、遊ばず本気に成れば良かったと、後悔が波立つ。

 何時も、爪が甘い。非情に慣れても、非情に成れない。故に未完。聖者にも修羅にも成り切れない男が巳堂霊児。

 

「マジですか?」

 

「しゃ〜ないだろ?盾に使った女の子ごと薙ぎ払おうとしたからな」

 

 聞いてマジョ子は溜息を吐いた。

 

「はぁ〜。驚かさないでくださいよ? サシで部長がタイマンしたと思いましたよ?」

 

 逆にマジョ子の安堵感はそのままである。

 彼女の織る限り、巳堂霊児の神技と拮抗できる者など、人外や魔術師も含めて五本の指で足りてしまう。その巳堂とサシで戦う敵など、想像したくない。

 

「それより、お前がどうしてここに居るんだ? 病院の調査はどうした?」

 

「催眠術を再度施しましたが、新しい情報は引き出せそうに無いですから、部長を追いました」

 

 心配して追って来たのだと言うが、心の中では二人っきりになりたいだけであり、私情を挟みまくっていた。霊児は眉間に深く皺を寄せ小さく唸った。

 

「ミコっちゃんは探索で、オレは現場の再調査だぜ? オレより、そっちの方が狙われなくないか?」

 

「あっ・・・・・・・・・」

 

 重苦しい空気が二人の間で産声を上げる。

 

「携帯で連絡してくれ」

 

「ラジャー!」

 

 すぐさまセーラー服からストラップだらけの携帯を取り出し、ボタンをプッシュして耳に当てる。コールが路地の中で静かに響く。だが、十回目のコールで留守電に変わってしまった。苛立ちの心情をそのまま電話口に叩きつける。

 

「とっとと出やがれ! ミコト!」

 

 

 

 電車内。五時五四分。

 

 

『とっとと出やがれ! ミコト!』

 

 ポケットの中でマジョ子の怒声が響く中、真神美殊は憎々しげに車両を我が物顔で独占し続ける不良達に、辟易していた。

 ガムの咀嚼音に眉を寄せ、何処にでも見当たる下卑た笑みをする不良たちに、冷たい瞳で見下した。

美殊は思う。この人たちは〈特別〉を求めている。と――――だからルールを破り、奇抜なファッションと凶行を集団で行う。何て――――ナンセンス。下がらないし、低レベル。禁忌を犯すのは誰でも出来る。初心者向けの特別さだ。それをさも、特別であると自負する猿以下の理論武装には失笑する。

真神美殊ははすでに、一番レベルの高い特別性の人を知っている。

命を捨てて、助けてくれた父。守るために殉じた仁。自分のように、人のために怒る人を。

その人達と比べれば、この不良達は月とスッポンという表現すら足りない。道端に転がるゴミ以下の物体と、比べるようなものと思っている。

 そして、美殊の退魔師としての観察眼は、背中に漂う黒い煙を見逃してはいない。〈憑いている〉ことは、明白。それもかなりの権威を持つ悪魔の部下と、美殊は判断したが、やはり冷笑は抑えられない。〈憑いて〉いようと、同じ行動しかしない低能っぷりに。

 

「なに、彼女? 笑うとさらに可愛いじゃん?」

 

誠の左側に立つピアスだらけの不良は言う。

 

「そりゃ、これだけの美人だぜ? イカしているに決まってんだろ?」

 

続けて誠の右側で、手摺にぶら下がる奴は、ゲラゲラと笑う。それにつられて他の数名も笑い声を上げている。失笑も冷笑も区別がつかない。美殊は溜息を吐いて誠を見上げると、オドオドと周囲の状況が理解できないと、顔に書かれている。

ならばと、美殊は無機質なまでに態度を改める。この低脳たちに一歩も引かない。誠を守るのが前提であり、最重要。そして何よりも、誇りが許さなかった。逃げることなど論外で愚問だ。

 

「何のよう? 用件は早めに。そして、的確に。出来れば、この中で一番偉い人が言って」

 

 美殊の絶対零度の声音は、逆に不良たちに火を付ける。このような高飛車で、気位の高い女は珍しい。だからこそ、征服するときの言い様の無い快感が待っている。

自分達と同じ、ルールを無視することに快感を求める女よりも、ルールを従事する女を汚す方が何かと面白いのだろう。下卑た笑みを隠そうともせずに、一人が前へと出てきた。誠の肩を掴んで退けて、美殊の前へと立つ。

 革のつぎはぎを着た、身長は一九〇センチで肩幅の広い大男である。涎を垂らすハイエナに似ていると、美殊は率直な感想を心の中で漏らした。

背中にある黒い煙は、他の不良たちよりも群を抜いていた。

 

「いや、何。あんたがとっても綺麗だったから声を掛けたいと思っただけさ。そう、怖い顔で睨まないでくれよ? それにオレ達はこう見えても平和主義だぜ? ただ――――」と、そこまで言って、目を細める。ハイエナから狂犬へと位が下がる顔になる。右手を伸ばすと、ビニール袋を持っていた不良仲間が大男に手渡した。

 

「これって、君のだろ?」

 

 満面の笑みでビニール袋を逆さまにする。中から落ちていく物は美殊が放った使い魔のなれ果て。一二枚の札がヒラヒラと落ちていく。なるほどと、美殊は納得した。この不良達は、今回の事件に絡んでいる黒幕の部下。そして、巳堂霊児やマジョ子を狙うよりも、自分を狙う理由も美殊には理解した。探索能力の要を殺ぐことを念頭に入れていると。だが、それらの事情を知らない誠はそれを見て、あぁ〜。と、全く見当違いの納得顔をした。

 

「すみません。うちの妹は良く家だの、通学路なんかにその手の札を貼るんですよ。迷惑でしたか? 本当にすいません」

 

 不良たちが一斉に頭を下げる誠を見て、失笑する。むしろ、この状況下を理解できないバカさに一人の茶髪が誠の胸座を掴んで、引き付ける。

 

「てめえに用はねぇんだよ? 用があるのはこのアマだけだから、痛い目あいたくねぇなら消えろ、コラ?」

 

「用って? 何ですか?」

 

誠が怪訝に返した。その言葉に下品に笑い返す不良。

 

「決まってんだろうが?ナニってお――――」

 

耳元で言った瞬間に、不良のこめかみに突き刺さる右フック。胸座を掴んでいた不良は膝から落ちて、白目を向いて意識が消え去る。一瞬だった。誰が攻撃をしたのかも、誰もが理解できないで突っ立ていた。崩れるように倒れた仲間を呆然と見ていた。それでも、美殊は他の不良達よりも早く、誠に視線を移す。

 激怒していた。怒髪天と言うに相応しく歯を剥き出しにし、平凡で日向のように優しく微笑む顔は、血管を浮き上がらせ、眉間に縦皺を作り上げている。

見守るたしかな暖かさを持つ黒い瞳は、焦点を合わせられないほど血走っている。右手の拳は皮膚が爆ぜ、血が流れている。

人体で一番硬い頭部を、フルスイングで殴れば誰でもこうなる。そして、躊躇するのが当たり前である。その当たり前が、今の誠には綺麗さっぱりと失っていた。

 

「へぇ〜イカスねぇ?」

 

 そう、賛美するほどの余裕を大男は持っていた。口元にまだ余裕の笑みを保ったままである。

 

「でも、邪魔だ。死んでいろ」

 

 何の感情もなく、大男は呟いた。ズボッ――――と、誠の腹から音が発した。ピンと伸ばされた五指と手首が、背中の制服を突き破っていた。

血に濡れた大男の手を、美殊は我を忘れて凝視した。また、先ほどの嫌な音を響かせて腹から抜き出す。糸が切れた人形のように、膝から倒れて床に額を叩きつけた。

 跪くような姿で、口から笛を吹くような呼吸音が響く。

 美殊はそれを見て、出来るだけ冷静に思考を廻らせる。

誠に応急処置をするために、ここの不良達を再起不能にし、応急処置をした後にマジョ子に連絡を入れ、治癒魔術を施してもらう。

大丈夫、マージョリーの治癒魔術は折り紙付きだ。切断された四肢なら一日で元通りに出来るほどの腕前である。

 

「まだ生きているのか? チッ」

 

大男は舌打ちを響かせて、手刀で空を切る。バッサリと上半身と下半身が解体され、上半身が血の海にベチャリと、落ちる。

誠が持っていた買い物袋も、血の海に浸った。

 見せつけるような殺傷音と血飛沫が、美殊の目の前で広がった。むっとする鉄錆の匂いに理性は飛ぶが、ある一点だけは冷静だった。そのまま、その一点だけが冷静に算段する。

 誠が血を流している。敵は魔術師。この街にあるルールを守らない愚か者。この鬼門街にある暗黙のルールはたった一つ〈殺人〉。

どんな理由であろうと厳守することが、この街で住む魔術師達のルール。

もし破るなら巳堂霊児とガートス家のマージョリーが、処刑人としてその魔術師を処罰する。最強の修羅と魔女の両名に、狩れない魔術師は存在しないのを、二年前から実践している。それに、これが生まれて初めての実戦。でも、だから?何?それが重要なの?怒りを抑えることが?

 美殊は自分が立ち上がった事も解らないで、ポケットの中にある札を取り出した。腕を弓なりにし、電車の窓に叩きつけるように貼った。

 刹那に、稲妻が疾走してこの車両を包み込む。一車両の空間を複製する結界を張り終え、外部から侵略を阻止し、また外部からは偽の情報を与える。

つまり、この車両に居る不良たちは外に出ることも出来ない上、外側から入ろうとする人間すらも拒絶する。入れる人間は、この〈空間複製結界〉のパスを持つ者か、無理やり進入するか。そのどちらかでしかない。

 それと同時に、不良たちが背負う黒い影が身体を包み込み、表に出てきた。傍観出来る状況ではないと、判断したのだろう。醜い顔をさらに醜悪にし、汚らしい笑みを浮かべた。

 

「嬉しいじゃねぇか。自分から檻の中に入ってくれたぜ?あぁ〜?」

 

「生け捕りにしろよ。頭の所望通りによ?」

 

「あぁ〜つまみ食いしてぇ〜こんな上玉なら、怒られて殺されもいいかもしれねぇ!」

 

 〈悪魔憑き〉と呼ばれる不良たちのなれ果て。日本では〈狐憑き〉とも呼ばれる。身体能力の増幅は魔術行使よりも素早く、獣の敏捷性を優に超えた能力が手に入る。しかし、精神や魂の侵食性もあり、口汚く罵りを上げるのも特徴。

ある意味、魔術被害にも入りそうな彼らだが、今の美殊には関係は無い。巳堂とマジョ子ではないが、都合のいい行方不明者になってもらおうと、キレた思考で冷静に計画を立てていた。

 目の前の奴らは微塵も残さず、存在自体を絶殺する。

 

帝釈天(インドラ)

 

 美殊の言下、車両に稲妻が轟音と共に鳴る。オゾン臭が漂い、煙は舞い、騎士風の甲冑を付けた剣士六体が現れた。それらが、美殊を守るように立ち並び、片手剣を抜刀し、間も置かずに不良達に飛び掛かる。

狭い空間を飛び、壁も天井も床すらも立体的な足場として、不良達に斬りかかる。その激しい斬撃に不良の塊は、血のアーチを描いて真っ二つに割れていく。

 どのような人間でも、ただ一つであり、自分だけが独占するモノがあり、その分類は幾兆と種別されて在るものを、魔術師は探し当てる。

美殊はその誰もが独占し、誰もが持つ「属性」が「雷」である。それに属した神、天使、悪魔であろうと、名前を呼べば戦闘能力を付属させて、瞬きほどの速さで召喚できる。ただし、正規の手順ではないため能力は全てワンランク落ちてしまう。

 予告も無く現れた稲妻の剣士達に、悪魔憑きの不良達は応戦する。やおら、怒号が鳴り響く戦場と化す車両。美殊を中心にし、果敢に斬りかかる剣士達はリーチを生かして、誠から不良たちを遠ざけることに成功すると、美殊はしゃがんで誠の首筋に手を置く。

核心があった。

 生きていると――――。〈魔人〉の血だけではなく、誠の内側に封印された住人が、必ず生かすだろうと。そして、美殊の期待に応える確かな脈拍。

蜘蛛の糸を手繰り寄せたように、美殊は安堵した。しかし、安堵は一瞬にして隙を生み出してしまう。

 誠を真っ二つにした大男が手刀だけで、帝釈天を袈裟斬りし、隙だらけのしゃがみこんだ美殊の首を後ろから掴み上げた。

 失態に歯軋りした。そう、周りの不良は確かに雑魚だが、この大男だけは魔術の知識を持ちえてなお、悪魔と契約している。正確に言えば、大男が契約していると思っている。肩口にある黒い影の力は、この男の技量の優に上をいっている。

己よりも、己以上に他人が認識出来てしまう、皮肉を地で行く大男。この魔術師は徐々に静かに侵食されているのだ。否、悲しい事に、それすら認識出来ない。自覚症状が現れた時は、手遅れのようなものである。

 

「余所見とは余裕だな?」

 

 肉に爪が食い込み、両足が床を離れていく。じっくりと、徐々に痛みは増していく。頚動脈を抑えられ、おちるのも数秒であった。

 だから、迷う事無く賭けをする。一体の帝釈天が剣を翻し、美殊を掴んだ腕を斬りに掛かるが、大男は蹴りを一閃し、帝釈天は衝撃そのままに不良達の檻をぶち破りながら飛んでいく。舌打ちし、他の使い魔に命令を下すが、残り四体の帝釈天は他の不良に抑えられ、身動きも取れなくなっている。

 

「さーてーとー。コンだけおイタをしてくれやがって。嬉しい限りだ! 何たって、〈抵抗するようなら好きにしろ〉だし〜オレ達の好きな事をやってもいいよな。えぇ〜?」

 

 大男は美殊を振り向かせて、喉を掴んで吊り上げる。ギランと涙目で睨む美殊を見て、大男はさらに喉の鳴らして笑った。絶命的な屈辱を前でもまだ、瞳には力があった。しかし、大男にとっては、そうでなければ嬲り甲斐が無い。

 

「悔しいの? 悔しいだろう?男を殺されて悔しいか?」

 

 後は狂ったように笑い、誠の上半身と下半身を空き缶のように蹴飛ばした。身体は車両のドアにぶつかってバウンドする。

魔術師はもう、完全に同化の段階に入っている。このような堕ちた段階の〈悪魔憑き〉は、手遅れに等しい。

 

「でもこれから気持ち良くなるだけだから、安心しろよ?」

 

 下卑た大男の哄笑が車両に響き渡った。だが、それはすぐさま喉を裂かんばかりの悲鳴に打ち消された。

一斉に不良達が見た先は、誠が蹴飛ばされた車両の方角。そこに、黒い塊が立っていた。黒き竜巻が起こし、不良達の体がまるで小石のように吹き飛ばされていく。

 怒れる巨人が佇んでいる。溶鉄するように、沸騰する血液が上半身と下半身を繋げており、漆黒の甲殻的な鎧を身に纏っていた。

 車両の天井すら届く、黒い悪魔が憤怒の化身として。

 

 

 四月一六日、六時。

 

 結界内部の形成に、魔力量を六割まで占めている。そのため、全力ではないコンディション。私の帝釈天六体のうち、二体は蹴りと手刀の一撃で戦闘不能。残り無事な四体と瀕死の一体は羽交い絞めか、押さえ付けられて身動きが取れないと認識。そして、私自身は大男に喉を掴まれて、猫のように釣られている。息苦しいが、それでも半数になった〈悪魔憑き〉等が、戦慄する視線を追うように向いていた。

 そこに立つ者は――――怒りを形容したかのような魔神。不良の一人がゴリラのような体型をした悪魔の長い手で、全体重を預けた拳と床との間に挟まれ、足元にも二人ほど。

 その悪魔憑き達は豚のように泣き叫ぶ。悪魔はただ、まっすぐにこちらに視線を向けていた。激昂した怒れる眼に、口にはその悪魔の微々たる理性の象徴か、マスクのような骨が覆われていた。額にある角が怒髪天を思わせ、背にある四枚の蝙蝠の翼がある。

 圧倒的な存在感をもって、その悪魔が雄叫びを上げる。

 

「グゥううううぅうぅぅぅぅうう!」

 

 拘束具の性で篭ったような唸り声。だが、それでも恐怖をダイレクトに叩き込む。この車両に張り巡らせた結界が、唸り声に込められた魔力だけで悲鳴をあげた。

 車両にいる悪魔憑きの不良達を見渡し、私で視線を止める怒れる魔神。そして、拳で押さえ付けていた不良少年をやおら掴むと、振り被って投擲。

 風を切る轟音に引き裂くような悲鳴。悪魔と私を吊り上げている大男の距離は、たったの五メートル。その距離で悲鳴を上げて、飛んでくる不良少年は文字通り人間ロケット。

それを空いた腕で軽く弾く大男。

軌道を変えられ、不良は背後の仲間に突っ込んでいくが、勢いは弱まらずに半数の仲間を薙ぎ倒す結果を生む。

その刹那を永遠とし、悪魔は足元の二人をカタパルトにして、肉薄。

 足元の二人に最後の絶叫を上げさせて、私の目の前にまで迫る。

 巨大な弾丸。そう、形容するしかない拳が大男の顔面を目掛けたが、大男は私を素早く放して両腕を十字にしてガードする。

岩を削り、抉ったかのような大打撃音を響かせて大男は車両の端まで吹っ飛んでいき、その好機とも取れる隙を悪魔は見逃す。

私を抱き留めると大きく後方へ跳んで、車両の端で下ろすとまた弾くように追撃する。

 大男は数度のたたらを踏むだけで、体制を整えている。

そして、車両の中央で身構えている。

 問答無用の連打が迫る。空気を唸らせる轟音の連打に対して、大男は捌きに掛かる。大男を中心にする台風は、大男の周りを問答無用に破壊していく。

 悪魔が放った一撃の全てが、背後にいた不良達にとって避けきれない災害。骨が砕く音響と、車両の天井と床が爆砕し、結界に多大なダメージが蓄積されていく。

 不良達はドミノ以下の価値で、出口の無い車両の奥に重なっていく。それも骨がぐしゃぐしゃと折れ曲がり、血を流している。

辛うじて生きているのは〈憑いた〉悪魔が、ダメージの大半の請け負っているだけである。しかし、痛みで言うなら「二回」ほど死んだ痛みに彼等は苦しんで、呻き声を上げている。

さながら、大男の背後だけ地獄が存在していた。

 大男はたまらず、無酸素連打の隙を突いて前蹴りを一閃。骨を砕く音響。爪先で奏でる一撃は悪魔を退かせ、大男が数歩で車両の端に逃げられるだけの時間を作る。大男は床に倒れ伏した仲間を、侮蔑を持って見下した。

 

「〈障壁〉も晴れない瑣末な奴等だぜ。使えねぇ」

 

 大男は血だらけの不良達を罵る。役に立たない道具を見るように。

〈障壁〉――――ただ、その名の通りの意味。身体全体を覆う鎧。自己を守るために必要な結界である。それが出来なければ魔力の防御が出来ない。

それが出来なければ、最低限の魔術師にすら入らない。障壁は魔術師の骨子と言っても過言ではない。大男はその障壁を用いて防ぎ、衝撃を背後に逃していたのだろう。そうでなければ、どれだけ死ぬ体験をする羽目になるだろうか?

 

「しかし、何だてめぇは? 素人だと思っていたが〈悪魔憑き〉の、それも、獣化現象? そんな匂いしなかったが、面白いじゃねぇか。掛かってこいよ。実力の違いを思い知らせてやるぜ?」

 

 そう言って大男は挑発的に手招きする。それを宣戦布告と受け取ったのか、悪魔はゆっくりと首と肩を回して距離を狭める。悪魔の背には的のような七つの円。それが、今では形を変えて一番外側の円は二つに割れていた。

 

「誠・・・・・・なの?」

 

自分とは思えない声音が響いた。

 しかし、悪魔は応えず、引き絞られて放たれた矢のように大男へ肉薄した。

背中にあるのは的のような刺青。トライヴァルタトゥーの円。その一番外側の円が真っ二つに割れている。

 意味は、封印の解呪。

 今、この時をもって真神家の血の一端、誠の魂に住む住人が、目覚めてしまった証拠である。幾億幾兆とある神、悪魔、天使をも〈力〉としていた〈魔神(まがみ)〉。心で魂も肉体も変換させる魔人の血が、覚醒した意味を持つ。

 闘うために生まれ出た悪魔に、愚か者の大男も見計らったように床を蹴った。衝突は瞼を焼くような、魔力の火花。怒号と雄叫びを上げる両者。戦闘レベルは高い悪魔契約者の大男は、己の優位を絶対として魔術を駆使し、距離を測って攻撃範囲を割り出し、カウンターを与え続ける。

 戦闘技術のお手本のように、スナイパーライフルの如く悪魔を攻撃する。しかし私は識っているし、結末が解っている。昔から怒った誠は捨て身になる。どんな暴力にも一歩も引かないし、退いた姿を見たことが無い。いや、違う。誠が暴力そのものだ。

殺す気の一撃は無意味。殺せる一撃を放たなければ、意味が無い。いくら喰らおうが、必ず、全てを終わってしまう一撃を、喰らわせる。

 憤怒の眼で敵を睨み、握る拳はただひたすら振るい、空を切っては床を抉り、天井を削る。

それの繰り返しであるが、数十発のダメージと引き換えに車両の角たるコーナーに追い込む。背に付いた壁に「はぁっ?」と、大男の魔術師が今更、気付いた。

気の毒に思えるほど、間抜けな顔をしていた。

神すらも逃れられないと言わんばかりに、全身の筋肉を引き絞って放たれた悪魔の左は地を這い、鋭い三日月を描くアッパーだった。

 叩き込まれた豪腕は魔術師と、私が施した結界を打ち抜き、札は空間のダメージを形容出来ずに自然燃焼。紫電が走り、空間にノイズが疾走する。

 コピーした結界と折り合いを付ける為、オリジナルの風景は破壊の跡を残す。その破壊が重なり始めると、辺りは酷い惨劇と化していた。

 窓ガラスは当たり前のように割れ、プレス機に掛けられたように折り重なった不良少年。何とか命拾いはしたが、全員が戦闘不能。天井を頭に突き刺さっている大男。

〈悪魔憑き〉や〈神降ろし〉の最大の特徴は、命のスペックである。高度な魔術師が悪魔契約したなら、悪魔にサインを求める。その際に、自分だけは必ず生かすようにするのが、魔術師なら嗜みといえる。稀有な契約者を生かすために、ダメージを受け持つのは悪魔も引き受ける仕事だが、痛みなどはどうしようもない。

それがアダにもなり、後悔の真っ最中であろう。この魔術師は今、悪魔に生かされている。そして、今の一撃は何回分の〈死〉が内包されているのだろうか?

 あと百回は死んで欲しいと願った。誠は確実に一回分、死んだ痛みを持っているのだ。限りなく現実に近い、擬似的な殺害を味わった。それを鑑みれば百回というのは、自分でも慈悲深いほうだ。

 残ったのは私と悪魔の姿になっている誠だけ。

ガタガタと、車両が揺れていることに気付いてふと風景を見ると、ある看板が小さく見えた。

 如月クリニックという文字を見て、心臓が凍ったかのように止まる。

 私達の住む住宅街の駅へと着こうとしている。

 

「次は〜不城(ふじょう)〜不城」

 

 アナウンスの変に間延びした声を聞いて、一気に血の気が下がる。この情況と、人間ではない誠を交互に見た。

 

「どうしよう? これって正当防衛にならないで、傷害になるの?」

 

 自分でも解り易いくらいに混乱していた。自分の声音はとても冷静に聞こえそうだが、床に放置された買い物袋を手にして、ビニールの中身がまだ使えることを確認している。

 誠の返り血は、ビニール袋に付いただけだ。Lサイズ卵の一パック税込み一〇〇円のタイムサービスを、泣く泣く諦めて正解だった。もし買っていたら中身は見られたものではないと、現実を見ずに逃避しようと思考は一人で歩いていく。

 そんな私に、悪魔は逆に至極冷静だった。

それも安否を気遣う眼差しである。今は物凄く、不愉快だ。私は誠の姿で頭を悩ましているのに。そんな言葉以上に伝わる、「怪我は無いか」と、問い掛ける瞳は、ある意味ずれているし、腹が立つ。だって、その悪魔のバックは死屍累々と表現できる。天井に突き刺さる大男を中心にした不良達の呻き声が、ムードをぶち壊しにしている。しかし、怖い思いをした年相応の少女のように振舞うことに、抵抗する必要性は皆無でもある。

 京香さんの口癖を借りてぶっちゃけ、これを逃せば何時来る? いや、やはりそれを行うにも時間は問題であり、さっさとここから出て行かなければならない。

 暴走気味で状況判断を見誤った私の前に、無情にも駅に電車は止まる。私と誠が住まう不城駅に。そして、神は死んだ。

 電車のドアが開いて、数少ない乗客を乗り込ませようとしていた。

 電車に乗ろうとした乗客が、息を呑んで黒い塊たる悪魔を見上げ、生きているギリギリの累々たる、不良達に視線を移した。

続いて悲鳴。それに触発されたかのように、失神する者もでる。悪魔はそれに気付いたのか、私を再度抱かかえると、凄まじいスピードと跳躍力で駅の屋根を蹴り、私達の住む家へと向かっていく。

黄昏に染まる屋根と電柱で助走をつけて疾駆する。混乱した頭の隅で、巨大なゴリラに攫われるヒロインのようだと思う自分に対して、我ながら凄い現実逃避と感心した。

 

 

←BACK

▲NOVEL TOP

NEXT→